土御門久脩:陰陽道を復活させた安倍晴明の正統後継者

土御門久脩:安倍晴明の正統後継者

1. 導入:なぜ、今それを語るのか?

3行でわかる土御門久脩:
  • 大陰陽師・安倍晴明の直系子孫(31代当主)として生まれ、
  • 時の権力者(信長・秀吉・家康)をパトロンにして、没落した陰陽道を見事に復権させ、
  • 晩年は伊達政宗に招かれ、仙台の「六芒星結界」設計に関与した伝説の陰陽師。

「信長・秀吉・家康、そして政宗。天下人たちがこぞって頼った、伝説の陰陽師・安倍晴明の血を引く男。」

**土御門久脩(つちみかど ひさなが/ひさつぐ)**は、戦国時代の終わりから江戸時代初期にかけて活躍した、陰陽道宗家・土御門家の当主です。

彼は単なる占い師ではありません。戦乱で没落しかけていた陰陽道という国家システムを、その政治力と実力で復活させた中興の祖です。

伊達政宗が仙台城下町を建設する際、わざわざ京都からこの人物を招いたことは、仙台という都市が「呪術的な防衛装置(結界)」として設計されたことの最大の証拠とされています。


2. 起源の物語:没落からの生存戦略

安倍晴明の正統なる血統

土御門久脩は、平安時代のスーパー陰陽師・安倍晴明から続く「土御門(安倍)家」の正統なる当主です。

晴明の子孫は「安倍家」として陰陽道を世襲してきましたが、室町時代に「土御門」という家名を名乗るようになりました。久脩は、その31代目の当主にあたります。

戦乱の中のサバイバル

しかし、久脩が生まれた頃(1560年頃)、土御門家は存亡の危機にありました。

  • 応仁の乱以降、京都は荒廃
  • 天皇の権威は地に落ち、朝廷儀式も廃れる
  • 陰陽師の地位も暴落、食うにも困る状況

伝統ある宮廷陰陽師の家が、戦国時代の弱肉強食の中で消滅しかけていたのです。

織田信長への接近

若き久脩は、この状況を打開するため大胆な手に出ます。

織田信長に取り入ったのです。

当時、信長は足利義昭を奉じて京都に入り、事実上の天下人となっていました。久脩は信長のパトロネージを得ることで、土御門家を「公家」として昇格させることに成功します。

これは、没落した陰陽道を政治力で復活させた離れ業でした。


3. 核心とメカニズム:権力者を渡り歩いた生存術

3.1 秀吉時代:流罪からの復活

信長の死後、久脩は豊臣秀吉の時代も生き延びます。

しかし、ここで大きな危機が訪れます。

豊臣秀次事件(1595年)——秀吉の甥で関白だった秀次が謀反の疑いで切腹させられた事件に、久脩は連座してしまいます。

彼は尾張へ流罪となりました。陰陽道宗家の当主が、罪人として追放されたのです。

普通ならここで終わりです。しかし久脩は違いました。

関ヶ原の戦い(1600年)を経て、見事に復帰。最終的には**「従三位(じゅさんみ)」**という高い位にまで登り詰めます。

この「転んでもただでは起きない」しぶとさは、七転八倒の人生を送った伊達政宗と通じるものがあったのかもしれません。

3.2 家康時代:将軍宣下の日取りを決める

関ヶ原の後、久脩は徳川家康にも接近します。

土御門家は代々、天皇に仕える宮廷陰陽師です。しかし久脩は、徳川家康の将軍宣下(征夷大将軍になる儀式)の日取りを決めるという重要な役割を担いました。

これは朝廷側の人間でありながら、幕府側にも深く食い込んでいたことを意味します。久脩は、朝廷と幕府の両方にパイプを持つ、極めて稀有な立場にいたのです。

3.3 政宗との邂逅:仙台六芒星の設計者

そして晩年、久脩に最後の大仕事が舞い込みます。

伊達政宗からのヘッドハンティングです。

関ヶ原の戦いの後、政宗は仙台城の建設を開始しました。彼は、この新しい都を「難攻不落の要塞」にするだけでなく、「霊的にも無敵の都」にしようと考えました。

そこで白羽の矢が立ったのが、当代きっての陰陽師・土御門久脩でした。


4. 仙台六芒星:呪術的都市計画

ミッション:仙台城下町に「結界」を張る

政宗がわざわざ京都のトップ陰陽師を招いたという事実は、彼がこの「呪術的な都市計画」にどれほど本気だったかを物語っています。

久脩に与えられたミッションは、仙台城下町に結界を張ることでした。

実行:三つの呪術的防衛装置

1. 鬼門封じ

城下町の北東(鬼門)に、定禅寺や東照宮などの寺社を配置しました。鬼門は災いが入ってくる方角とされ、ここを寺社で封じるのは陰陽道の定石です。

2. 六芒星(ダビデの星)

仙台城本丸を起点に、主要な神社(青葉神社、大崎八幡宮など)を線で結ぶと、巨大な六芒星が浮かび上がります。

これが「仙台六芒星」と呼ばれる最強の結界です。六芒星は、安倍晴明の五芒星(セーマン)とは異なりますが、同じく強力な魔除けの図形とされています。

3. 四神相応

陰陽五行説に基づく「四神相応」——青龍(東)・白虎(西)・朱雀(南)・玄武(北)の地相を人工的に作り出し、風水的に完璧な都市を設計しました。


5. 知られざる真実

天皇家か、徳川家か?

土御門家は代々、天皇に仕える家柄です。しかし久脩は、朝廷側でありながら幕府にも深く関わりました。

政宗が彼を呼んだのは、単なる都市計画だけでなく、こうした「中央政界(朝廷・幕府)とのパイプ」を利用する意図もあったかもしれません。

政宗は中央の情勢に常に敏感でした。久脩を通じて、京都や江戸の最新情報を得ていた可能性は十分にあります。

「最強の武将 × 最強の陰陽師」

史実で政宗と久脩は同時代を生きており、この「最強の武将 × 最強の陰陽師」というタッグは、創作意欲を掻き立てる黄金の組み合わせです。

カプコンのゲーム『鬼武者Soul』などでは、若き天才陰陽師として登場し、政宗と共闘する様子が描かれています。


6. 現代への遺産

仙台の都市伝説として生きる

現代の仙台でも「六芒星結界」は有名な都市伝説として語り継がれています。

実際に地図上で神社を線で結ぶと幾何学的な図形が浮かび上がるのは、偶然にしては出来すぎているため、多くの歴史ファンやオカルトファンを惹きつけてやみません。

その設計図を描いたかもしれない男——それが土御門久脩なのです。

土御門家の継承

久脩の復興事業により、土御門家は江戸時代を通じて陰陽道の宗家として君臨し続けました。幕末まで朝廷の陰陽寮を統括し、日本の暦や占術の権威として存続しています。


7. 関連記事

土御門久脩と陰陽道の系譜について:


8. 出典・参考資料

主要参考資料(クリックでアクセス):

一次資料・古典

資料名概要
『伊達治家記録』伊達家の公式歴史書、政宗時代の記録
『公卿補任』公家の人事記録、土御門家の官位

学術・参考文献

資料名概要
仙台市博物館仙台城下町の古地図などを所蔵
京都府立京都学・歴彩館土御門家関連史料