天武天皇:陰陽寮を創った「占星術の帝王」

天武天皇:占星術の帝王

1. 導入:なぜ、今それを語るのか?

3行でわかる天武天皇:
  • 壬申の乱で勝利し、天皇中心の中央集権国家を確立した「日本の創建者」。
  • 陰陽道を国家管理下に置く陰陽寮を設立し、占術を政権の武器とした。
  • 「日本」という国号と「天皇」という称号を初めて正式に定めた天皇。

「星を読み、国を創り、歴史を書いた。」

天武天皇(631?年〜686年)は、単なる軍事的勝者ではありません。彼は天文・陰陽道に精通した知識人であり、その知識を武器に壬申の乱を勝ち抜きました。

そして勝利後、彼は陰陽道を国家体制に組み込み、「占い」という潜在的な反乱ツールを国家が独占する巧妙なシステムを構築しました。


2. 起源の物語:壬申の乱と星の導き

皇位継承の危機

天智天皇10年(671年)、兄・天智天皇(中大兄皇子)が崩御間近となりました。

次期天皇候補は2人:

  • 大友皇子(天智天皇の息子)→ 近江朝廷の支持
  • 大海人皇子(天智天皇の弟、後の天武天皇)→ 吉野に隠棲

天智天皇は当初、弟の大海人皇子を後継者に指名しようとしましたが、大海人皇子は辞退し、吉野に下りました。これは政治的な駆け引きだったとも言われています。

「東方に暴気あり」

672年6月、大海人皇子は挙兵を決意します。『日本書紀』には、その決断の瞬間が記されています:

「東方に暴気(妖気)あり。急ぎ避けて東に行くべし。」

天武天皇は自ら天を観測し、吉兆を見出したのです。彼は「天文や遁甲(奇門遁甲)の術をよくされた」と日本書紀に記されており、占星術を駆使して戦略を練りました。

1ヶ月の電撃戦

壬申の乱は、わずか約1ヶ月で決着しました。

日付出来事
672年6月24日大海人皇子、吉野を出発
7月2日東国の軍勢と合流
7月22日瀬田橋の戦いで大友皇子軍に勝利
7月23日大友皇子自害、乱終結

大海人皇子は、東国(美濃・尾張)の豪族たちを味方につけ、近江朝廷を破りました。これは古代日本最大の内乱であり、その勝利者として天武天皇が即位します。


3. 核心とメカニズム:陰陽寮設立の3つの理由

3.1 占術の国家独占

天武天皇が陰陽寮を設立した最大の理由は、陰陽道を国家管理下に置くことでした。

壬申の乱で自ら占星術を駆使して勝利した天武天皇は、この技術が政権転覆にも使われうることを熟知していました。

「自分が使った武器を、敵に使わせない。」

陰陽寮は中務省(天皇直属の官庁)に属し、占術・天文・暦法をすべて国家が独占する体制が整えられました。これにより、反乱を企てる者が占いで「天意」を主張することを防いだのです。

3.2 天皇の権威強化

陰陽寮が担った主要な職務:

部門職務
陰陽道占い、祈祷、呪術
天文道天体観測、天変地異の解釈
暦道暦の作成・頒布
漏刻時刻の測定

特に重要なのは**「天文密奏」**です。これは天文異変を観測した際、陰陽寮が天皇だけに密かに報告する制度でした。

古代中国の「天人相関説」によれば、天体の異変は天が地上の支配者に下すメッセージ。天皇だけがこのメッセージを受け取れるということは、天皇が「天」と繋がる唯一の存在であることを意味します。

3.3 律令国家建設の一環

676年、陰陽寮の設立と同時に、日本初の占星台が建設されました。

これは中国の律令制度を模倣した国家建設の一環です。天武天皇は以下の大事業を推進しました:

  • 飛鳥浄御原令の編纂開始(日本初の本格的法典)
  • 八色の姓制定(氏姓制度の再編)
  • **『古事記』『日本書紀』**の編纂命令
  • 藤原京建設の開始
  • **「日本」「天皇」**の国号・称号を正式に制定

陰陽寮は、この壮大な国家建設プロジェクトの中で、「天皇の神聖性」を科学的・呪術的に裏付ける機関として機能しました。


4. 天武天皇と陰陽五行説

天武天皇の政策には、陰陽五行説の影響が随所に見られます。

藤原京の設計

天武天皇が計画した藤原京は、中国の都城制に基づく日本初の本格的な都城でした。その設計には五行思想に基づく方位の概念が取り入れられています。

八色の姓

684年に制定された八色の姓(やくさのかばね)は、身分制度を再編するものでしたが、その構成は中国の思想体系に基づいています。

対象
真人皇族
朝臣有力氏族
宿禰実務官僚
忌寸渡来系氏族

伊勢神宮と天照大神

天武天皇は、伊勢神宮を国家最高の神社と位置づけ、天照大神(アマテラス)を皇祖神として祀る体制を整えました。

これにより、天皇は天照大神の聖性を継承する「現人神」としての地位を確立しました。


5. 知られざる真実

自ら天を観た天皇

『日本書紀』には、天武天皇が「天文・遁甲に能(よ)くした」と明記されています。これは「占星術と奇門遁甲(戦術的な方位術)に精通していた」という意味です。

天皇自らが占術を行うことは極めて異例であり、天武天皇が単なる権力者ではなく、知識人・呪術者としての側面を持っていたことを示しています。

「天皇」号の創始者

「天皇」という称号を初めて正式に使用したのは天武天皇だとする説が有力です(諸説あり)。それ以前は「大王(おおきみ)」と呼ばれていました。

「天皇」は中国の道教で「天帝」を意味する語であり、天武天皇が自らを「天の皇帝」として位置づけようとした野心が表れています。

持統天皇への継承

天武天皇は686年に崩御しましたが、彼の壮大な構想は妻・持統天皇に引き継がれました。

  • 飛鳥浄御原令 → 持統天皇が施行(689年)
  • 藤原京 → 持統天皇が遷都(694年)
  • 大宝律令 → 文武天皇が完成(701年)

天武天皇が描いた「日本」という国の設計図は、死後も着実に実行に移されたのです。


6. 現代への遺産

陰陽師の系譜

天武天皇が設立した陰陽寮は、平安時代に最盛期を迎えます。

ここから安倍晴明賀茂忠行といった伝説の陰陽師たちが輩出されました。彼らが活躍できたのは、天武天皇が陰陽道を国家の正式な制度として認めたからこそです。

「天皇」という存在

天武天皇が確立した「天皇」という称号と、その神聖性を支える思想体系は、1300年以上を経た現代まで続いています。


7. 関連記事

天武天皇が作った陰陽道のシステムについて:

天皇中心の国家建設を進めた先人:


8. 出典・参考資料

主要参考資料(クリックでアクセス):

一次資料・古典

資料名概要
『日本書紀』天武天皇紀、壬申の乱の主要記録
『続日本紀』持統・文武天皇期の記録

学術・参考文献

資料名概要
奈良県立万葉文化館飛鳥時代の研究
国立歴史民俗博物館律令国家の形成に関する研究