吉良頼康:横浜・蒔田城に君臨した「足利の血脈」

吉良頼康:蒔田殿

1. 導入:なぜ、今それを語るのか?

3行でわかる吉良頼康:
  • 足利将軍家の「御一家」として、将軍に次ぐ高い家格を誇った武蔵吉良氏の当主。
  • 横浜市南区の蒔田城を居城とし、「蒔田殿(まいたどの)」と呼ばれた。
  • 北条氏の家臣ではなく「客将」として特別待遇を受け、北条氏康の妹を妻に迎えた。

「みなとみらいの南、蒔田に城を構えた足利将軍家の血を引く名門。」

現在の横浜市南区——みなとみらいから見て南側に、かつて「蒔田城」という城がありました。

その城主こそ、吉良頼康。足利将軍家の血を引く非常に家格の高い人物であり、忠臣蔵で有名な吉良上野介と同じ吉良氏の系譜に連なる名門でした。


2. 起源の物語:足利氏の御一家

2.1 吉良氏とは

吉良氏は、鎌倉時代に三河国吉良荘を本拠とした足利氏の一族です。

吉良氏の家格:
  • 足利義氏の子から分かれた足利氏の支流
  • 将軍家の「御一家」として高い家格
  • 「足利将軍家が絶えた場合、吉良から継ぐ」とも言われた

2.2 武蔵吉良氏と三河吉良氏

吉良氏には大きく二つの系統があります:

系統本拠有名な人物
三河吉良氏(本家)三河国(愛知県)吉良上野介(忠臣蔵)
武蔵吉良氏(分家)武蔵国(東京・神奈川)吉良頼康

頼康が属する武蔵吉良氏は、奥州吉良氏とも呼ばれ、三河本家とは別の系統ですが、共通の祖先・足利義氏を持つ血縁関係にありました。


3. 蒔田城と世田谷城

3.1 二つの居城

吉良頼康は、世田谷城(東京都世田谷区)と蒔田城(横浜市南区)の二つを行き来していました。

場所現在
世田谷城東京都世田谷区世田谷城阯公園
蒔田城横浜市南区蒔田町青山学院横浜英和中学高等学校

3.2 「蒔田殿」

蒔田城に居住していたことから、頼康は「蒔田殿」と尊称されました。

「世田谷殿」「蒔田殿」と呼ばれるほど、彼はこの地域の文化的・政治的な象徴でした。


4. 北条氏との関係

4.1 家臣ではなく「客将」

吉良頼康と北条氏の関係は、単なる主従ではありませんでした。

特別待遇の理由:
  • 足利将軍家の血を引く高い家格
  • 北条氏にとって「格上」の存在
  • 家臣ではなく「食客(客分)」として扱われた
  • 諸役を免除されるなどの配慮

4.2 北条氏との婚姻

頼康は北条氏綱の娘を正室に迎えました。

また、北条氏康から一字を賜り、「頼貞」から「頼康」に改名したとされています。

頼康の養子・氏朝も北条氏康の娘と結婚しており、両氏は強い親戚関係で結ばれていました。


5. 横浜との関係

5.1 現在の横浜市南区

蒔田城は、現在の横浜市南区蒔田町に位置していました。

現在その場所には青山学院横浜英和中学高等学校があります。

5.2 勝国寺

1562年に亡くなった頼康は、蒔田の勝国寺に葬られました。

現在も勝国寺には彼にまつわる伝承が残っています。


6. 吉良氏の終焉

6.1 小田原征伐

1590年、豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏が滅亡すると、吉良氏も運命を共にしました。

蒔田城も世田谷城も、このとき廃城になったと考えられています。


7. 知られざる真実

7.1 吉良上野介との関係

「忠臣蔵」で有名な吉良上野介(吉良義央)は、三河吉良氏の本家筋です。

吉良頼康が属する武蔵吉良氏とは別系統ですが、共通の祖先を持つため、「遠い親戚」と言えます。

7.2 今川氏との関係

吉良氏と今川氏も同じ足利氏の一族であり、「今川氏が絶えれば吉良から、吉良が絶えれば今川から将軍を継ぐ」という伝承もありました。

吉良氏の家格の高さを示すエピソードです。


8. 関連記事

吉良頼康と戦国時代の関東について:


9. 出典・参考資料

主要参考資料(クリックでアクセス):

関連史跡

場所概要
蒔田城跡(横浜市南区)現・青山学院横浜英和中学高等学校
勝国寺(横浜市南区)頼康の墓所
世田谷城阯公園(世田谷区)吉良氏の本拠