賀茂忠行:安倍晴明を見出した陰陽道の祖

賀茂忠行:陰陽道の祖

1. 導入:なぜ、今それを語るのか?

3行でわかる賀茂忠行:
  • 平安時代、陰陽道の三部門(天文道・暦道・陰陽道)すべてを極めた稀代の天才
  • 百鬼夜行の夜に幼い安倍晴明の才能を発見し、「瓶の水を移すがごとく」秘術を伝授した
  • 息子・賀茂保憲と弟子・安倍晴明による「安賀両家体制」の礎を築いた陰陽道の開祖

「伝説を作った者には、必ずその才を見出した者がいる。」

安倍晴明の名を知る人は多いでしょう。しかし、その晴明を「発見」した人物のことは、ほとんど語られていません。歴史上、多くの天才が存在しましたが、その影には必ず「師」がいます。賀茂忠行こそ、陰陽道という日本独自の学問・技術体系を確立し、最強の後継者を育て上げた、知られざる陰陽道の祖なのです。


2. 起源の物語:三道を極めた男

「その男は、天を読み、暦を操り、鬼神をも従えた」

賀茂忠行は、平安時代前期(9世紀後半〜10世紀前半)に活躍した貴族であり、陰陽師でした。

当時の陰陽寮では、専門分野が細かく分かれていました。星の動きから国の吉凶を占う「天文道」、暦を編纂する「暦道」、そして呪術や占いを司る「陰陽道」。これらはそれぞれ別の専門家が担当する、いわば縦割りの組織でした。

しかし忠行は、この三部門すべてを一人で極めた稀有な存在でした。醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇といった歴代の帝から絶大な信頼を得ていたといいます。特に「射覆(せきふ)」—箱の中身を透視して言い当てる占術—に卓越しており、まさに陰陽道の「総合格闘家」とも呼べる存在だったのです。


3. 核心とメカニズム:百鬼夜行の夜

賀茂忠行の最大の功績は、安倍晴明という「原石」を発見し、磨き上げたことにあります。

3.1 闇夜の邂逅

『今昔物語集』巻24には、運命的なエピソードが記録されています。

ある夜、忠行が牛車で外出した際、幼い晴明が供として同行していました。忠行は車中で眠りについていましたが、晴明は前方から異形の者たちの行列が近づいてくるのを目撃します。

それは百鬼夜行でした。

晴明は驚いて師を起こし、「鬼が来ます!」と告げました。忠行は目を覚まし、その光景を見るや否や、隠身術を発動。自分と晴明、そして供の者たち全員の姿を鬼から隠し、難を逃れました。

3.2 「瓶の水を移すがごとく」

この出来事は、忠行にとって衝撃でした。

普通の人間には見えない百鬼夜行が、幼い晴明にははっきりと見えていたのです。

「この童子には、生まれながらにして鬼神を見通す眼がある」

忠行は晴明の非凡な才能を見抜き、その日から彼を最も大切な弟子として扱いました。そして、自らが極めた陰陽道の秘術を「瓶の水を移すがごとく」—一滴も残さず—伝授したのです。

この逸話は、師弟関係の美しさを描くと同時に、才能が「発見」されることの重要性を物語っています。もしあの夜、忠行が晴明の言葉を無視していたら、歴史上最強の陰陽師は誕生しなかったかもしれません。

3.3 息子・賀茂保憲との継承

忠行の陰陽道は、息子の賀茂保憲にも受け継がれました。

保憲もまた優れた陰陽師であり、父の後を継いで賀茂家を陰陽道の名門として確立しました。彼は晩年、歴史的な決断を下します。

  • 暦道:息子・賀茂光栄に継承
  • 天文道:弟子・安倍晴明に継承
「暦の賀茂、天文の安倍」
こうして誕生したのが「安賀両家」体制です。この二大宗家による陰陽道支配は、なんと明治時代まで1000年以上も続きました。

保憲が晴明に天文道を継承させた背景には、父・忠行が見出した晴明の才能への信頼があったと考えられます。賀茂忠行は、自らの遺産を血縁と才能の両面で受け継がせる道筋を、生前から示していたのかもしれません。


4. 現代への遺産:陰陽道の「組織論」

賀茂忠行が残した遺産は、陰陽道の技術だけではありません。それは「才能を見出し、育て、適切に継承させる」という組織マネジメントの精神です。

現代企業で言えば、彼は:

  • ジェネラリストとして三部門を統合し
  • スカウトとして晴明を発見し
  • メンターとして後継者を育て
  • CEOとして継承計画を設計した

最強のスペシャリストである安倍晴明がスポットライトを浴びる一方で、その舞台を整えたプロデューサー・賀茂忠行の存在を忘れてはなりません。


5. 知られざる真実:「陰陽師」という言葉の意味

興味深いことに、忠行の時代、「陰陽師」という言葉は必ずしも褒め言葉ではありませんでした。

正式な官職は「陰陽博士」「天文博士」「暦博士」であり、「陰陽師」は民間の占い師や呪術師を指すこともあったのです。忠行や晴明が国家公務員として活躍していた一方で、民間にも陰陽道の技術を使う者がいたことがわかります。

賀茂忠行が偉大なのは、そうした「お堅い」官職の世界で、規格外の弟子を発見する柔軟性を持っていたことです。もし彼が「血統」や「家柄」だけにこだわっていたら、安倍晴明という存在は歴史に埋もれていたでしょう。


6. 関連記事

賀茂忠行の弟子とライバルについて詳しく知りたい方は、以下の記事もご覧ください:


7. 出典・参考資料

主要参考資料(クリックでアクセス):

一次資料・古典

資料名概要
『今昔物語集』巻24忠行と晴明の百鬼夜行エピソード、隠身術の記録
『本朝世紀』平安時代の陰陽師に関する記録

学術・デジタルアーカイブ

資料名URL概要
国立国会図書館DCdl.ndl.go.jp今昔物語集の原典閲覧
Wikipedia「陰陽道」ja.wikipedia.org陰陽道の歴史と体系
Wikipedia「賀茂氏」ja.wikipedia.org賀茂家の系譜と陰陽道継承