伊達綱村:「塩釜の恩人」と呼ばれた伊達騒動の生き残り

伊達綱村:塩釜の恩人

1. 導入:なぜ、今それを語るのか?

3行でわかる伊達綱村:
  • わずか2歳で仙台藩4代藩主となり、伊達騒動という日本三大お家騒動を生き延びた。
  • 塩釜神社の社殿再建と「貞享特令」による経済振興策を実施し、「塩釜の恩人」と呼ばれる。
  • 晩年、徳川光圀から父・綱宗の「不行跡」について書状を受け取るなど、波乱の人生を送った。

「2歳で藩主、お家断絶の危機、そして復興——伊達家最大の試練を乗り越えた男」

伊達綱村(だて つなむら)は、仙台藩第4代藩主。日本三大お家騒動の一つ「伊達騒動」の当事者でありながら、藩の存続を守り抜いた「生き残り」です。

彼の功績は、騒動を乗り越えただけではありません。塩釜神社の再建と門前町の振興、そして仙台藩の信仰と経済の基盤を固めたことにあります。


2. 伊達騒動:日本三大お家騒動

2.1 騒動の背景

伊達騒動は、黒田騒動、加賀騒動と並ぶ「日本三大お家騒動」の一つです。

騒動の発端:
  • 万治3年(1660年):3代藩主・伊達綱宗が「不行跡」を理由に幕府から隠居を命じられる
  • 綱宗はわずか21歳で隠居、嫡子の亀千代(後の綱村)はわずか2歳
  • 幼君を補佐する後見人として、叔父・伊達宗勝(兵部)が藩政を掌握

2.2 伊達宗勝派の専横

後見人となった宗勝(政宗の十男)は、奉行・原田甲斐宗輔らを重用し、藩政を独断で進めました。

時期出来事
1660年綱宗隠居、2歳の亀千代(綱村)が藩主就任
1660〜1671年宗勝派が藩政を主導、反対派を弾圧
1671年幕府での審問で刃傷事件(寛文事件)発生

藩内では「亀千代(綱村)毒殺未遂」の噂も立つなど、緊張が高まりました。

2.3 寛文事件:大老邸での刃傷

寛文11年(1671年)3月27日、幕府の大老・酒井忠清邸で審問が行われました。

伊達一門の伊達安芸宗重が宗勝派の不正を訴えようとしたその時——

奉行・原田甲斐が伊達安芸を斬りつけ、殺害。

原田甲斐もその場で斬り合いの末に死亡しました。

幕府の裁定:
  • 伊達宗勝:改易(領地没収、追放)
  • 原田甲斐:死亡、家は断絶
  • 伊達綱村:お咎めなし(幼少のため)
  • 仙台藩:存続

綱村が幼少であったことが、逆に藩を救いました。「2歳で藩主」という不運が、皮肉にも伊達家を守ったのです。


3. 徳川光圀との関係

3.1 「水戸黄門」からの書状

伊達綱村には、あの徳川光圀(水戸黄門)との接点がありました。

元禄7年(1694年)、光圀は綱村に書状を送っています。この時、光圀67歳、綱村36歳。

光圀からの書状の内容:
  • 綱村の父・伊達綱宗の過去の「不行跡」について言及
  • 伊達家の歴史的な問題への関心を示す
  • 綱村への忠告・教訓とも読める内容

光圀は儒学を重んじ、『大日本史』を編纂した学者でもありました。この書状は、伊達家の「恥部」とも言える過去に対する、外部からの貴重な視点を示しています。

3.2 光圀の真意

光圀がこの書状を送った真意は定かではありませんが、以下の可能性が考えられます:

  1. 教育的意図:綱村に父の過ちを教訓とさせる
  2. 政治的意図:仙台藩への牽制・監視のメッセージ
  3. 学問的関心:伊達騒動という歴史的事件への純粋な研究心

いずれにせよ、この書状は綱村が生涯背負い続けた「父の影」を象徴するものでした。


4. 塩釜の恩人:神社再建と経済復興

4.1 塩釜神社への崇敬

伊達綱村は、「塩釜の恩人」として今も塩釜市民に敬われています。

伊達家と塩釜神社の関係:
  • 伊達政宗以降、歴代藩主が大神主として祭祀を司る
  • 塩釜神社は仙台藩の総鎮守として厚く崇敬
  • 綱村は17歳で初参詣し、太刀を奉納

4.2 社殿の再建

綱村は、塩釜神社の社殿を壮大なスケールで再建しました。

項目内容
着工元禄8年(1695年)
完成宝永元年(1704年)※次代・吉村の時代
文化財国の重要文化財に指定

現在の塩釜神社の荘厳な社殿は、綱村が着手した再建事業の成果です。

4.3 貞享特令:経済振興策

綱村は社殿だけでなく、塩釜の経済も復興させました。

貞享2年(1685年)、塩釜の門前町が経済的に低迷していることを憂慮した綱村は、「貞享特令」を発布しました。

貞享特令の内容:
  • 米以外の荷物を積んだ船は必ず塩釜港に入港すること
  • 毎年250両を藩から塩釜の人々に支給
  • 様々な税を免除

この特令により、塩釜は活気を取り戻し、港町として発展しました。綱村は「塩釜の恩人」として、今も地元で語り継がれています。


5. 騒動の文学的遺産

5.1 歌舞伎『伽羅先代萩』

伊達騒動は、後に歌舞伎の題材となりました。

**『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』**は、伊達騒動を脚色した名作歌舞伎です。幼君を守る乳母・政岡の忠節が描かれます。

5.2 山本周五郎『樅ノ木は残った』

現代文学では、山本周五郎の小説『樅ノ木は残った』が伊達騒動を描いています。

原田甲斐を悪役ではなく、藩を守ろうとした悲劇の忠臣として再解釈した作品で、NHK大河ドラマにもなりました。


6. 綱村の評価

6.1 功績

分野功績
政治伊達騒動を乗り越え、藩を存続させた
宗教塩釜神社の社殿再建、祭神体系の整備
経済貞享特令による塩釜の経済振興
文化学識者を招いて神社研究を推進

6.2 課題

一方で、綱村には批判もあります。

  • 過度な寺社への寄進で藩財政を圧迫
  • 後継者問題(一時は養子問題で紛糾)
  • 元禄11年(1698年)に隠居を余儀なくされる

功罪相半ばする人物ですが、「塩釜の恩人」としての功績は、今も地元で高く評価されています。


7. 関連記事

伊達綱村と仙台藩について:


8. 出典・参考資料

主要参考資料(クリックでアクセス):

一次資料・古典

資料名概要
『伊達治家記録』伊達家の公式歴史書
徳川光圀書状(仙台市博物館蔵)綱村宛ての書状

関連史跡

場所概要
鹽竈神社(塩竈市)綱村再建の社殿、国重要文化財
大年寺(仙台市)綱村の墓所
瑞鳳殿(仙台市)伊達家歴代藩主の霊廟